現在のわが国は、進んだ医療を手厚く国民に提供する、世界有数の医療国家です。その背景には、各地に設けられた公立病院の存在が欠かせません。今回は、わが町の地域医療を支えてきた蔵王病院(写真@)の『いまむかし』を追いかけてみましょう。

@40年前に建設された、現在の蔵王病院
江戸時代末期、わが国にはさまざまな西洋の文化文明がもたらされました。医学もそのひとつです。明治初期には、西洋の進んだ医学知識を身に付けた医師たちが病院や診療所を開業し、地域医療を支えていました。
この地域に初めてできた公立の医療施設は刈田病院です。設立は今から一三〇年ほど昔で、県立病院の分院という位置付けでしたが、建設資金は全額地元有志の寄付でまかなわれました(写真A)。
刈田病院は郡内町村の出資によって運営されましたが、円田村は病院から遠く、村民の利用率も低かったため、後に年15円の寄附金を納める準組合員となりました。しかし、そのため円田村は無医村となり、昭和3年(86年前)に県立円田診療所ができるまでの間、村民の医療を宮村や村田町の開業医に頼ることとなりました。

A明治15年建築で、昭和29年まで使われ続けた刈田病院旧本館
太平洋戦争後の昭和24年(65年前)、円田村和田に公立円田診療所が開設。翌年の増築工事によって病床20床を備え、公立円田病院へと格上げされました。その後、病室や設備の増設を行い、病床30床を有する地域随一の医療機関へと発展しました。昭和30年(59年前)、円田村と宮村とが合併して蔵王町が生まれたのに伴い、公立円田病院は国保蔵王病院へと生まれ変わったのです。
写真Bは、今から45年ほど前の蔵王病院です。建物などの設備は旧円田村時代のものを引き継いでいます。病院前に停車している通院サポート用の巡回バスは、50年ほど前にスタートした伝統あるサービスです。
昭和40年代後半になると施設の老朽化が目立つようになったため、全面建て替え工事を実施。昭和49年(40年前)9月、鉄筋コンクリート2階建ての現在の建物が完成し、町民の皆さまの健康と医療を支える拠点施設として現在に至ります。

B旧蔵王病院。増築を重ねたため部分によって作りが異なる
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